ダンヴァンタリ神のお顔がやさしくなりました

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当校では「故あって」ダンヴァンタリ神の神像をお預かりしています。「故あって」と大袈裟に言いましたが、その「故」がなんだかわからないままお預かりしています。ダンヴァンタリ神はアーユルヴェーダの神様と言われますが、ダンヴァンタリ神が地上に現れたときには医学と言えばアーユルヴェーダしかなかったので、「ダンヴァンタリ神は医学の神様」ということになるとインドの人達は思っているようです。アーユルヴェーダスクールにダンヴァンタリ神がいらっしゃることはとても吉兆なことなのでお預かりしています。

神像は入魂してあるせいかお顔の表情が変わります。ときには晴れやかに微笑み、ときには厳しい表情になったりします。見る側の我々人間の心を反映しているのかもしれませんが、表情が変わると感じるのは私だけではありません。皆さんそう感じるようです。

コロナ禍が始まって以来、ダンヴァンタリ神の表情は硬いように感じていました。私は「なるべく早くコロナが終息(収束)しますように」とダンヴァンタリ神に祈らざるを得ない気持ちでした。ダンヴァンタリ神の表情は硬いままでした。

ある時、ドクター・パルタップがAI技術によって外国語を話せる分身をつくる技術についてのYouTubeを送ってきました。驚くような技術でした。私は「こんな高度な技術をつくれるのだから、コロナを収束できる技術があってしかるべきじゃない?」と返信しました。ドクター・パルタップは「それはできないね。人間の意識を変えることがコロナ収束の絶対条件だよ」と言いました。

そうなのです。コロナ・パンデミックは人間のあくなき貪欲さがもたらした結果なのです。つまりプラッギャーパラーダ(知性の間違った使い方)が引き起こした結果なのです。だから人間が自分たちの過ちに気づき、自然と共生する方向に意識が変わらなければパンデミックは次々とやってくるでしょう。

問題の本質を考えると、ダンヴァンタリ神に「どうか早くコロナを終息(収束)させてください」と祈るのは正しくはないと思うようになりました。それからは「私たち人間が知性を取り戻し、これまでの過ちに気づきますように」と祈るようにしました。

そのせいかどうか、ダンヴァンタリ神の表情は柔和になり、少し微笑んでいるようにみえるようになりました。当校のベーシックコースでランチを作ってくれている小澤一美さんが「ジヴァ・ジャパンにいらっしゃるダンヴァンタリ神のお顔が柔らかくなった」とFacebookで書いていました。私と同じ印象をもったのですね。

神像の表情が変わるのは、見る側の心を反映しているのかもしれません。一美さんとはランチづくりの朝「このツライ状況を受け入れなければならないかもね」と話したので、受け入れる心がダンヴァンタリ神の表情に反映されたのかもしれません。この世の事象は人間の意識どおりに動くと言われています。私たちの意識と心が不安から解放されて自由になれば、ダンヴァンタリ神の表情も柔和になるし、コロナの状況も変化するのかもしれません。

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